2012年02月18日

読書ノート、ふたたび。中島京子「小さいおうち」

■タイトル:「小さいおうち」(文藝春秋)
■著者:中島京子
■ISBN:9784163292304
■読書期間:2011/9/29〜2011/10/3
■抜書き:第五章 開戦 より

 改まった話を応接間でしようと考えていらした奥様はあきらめて、
わたしに手ぬぐいと真桑瓜(まくわうり)を縁側に運ばせた。

「ねえ、板倉さん」

 首に手ぬぐいをかけて真桑瓜にかぶりついていく姿を見つめてい
た奥様が、とうとうその話を切り出した。

「わたし、あなたにお見合い写真をあずかっているのよ」

 相手は奥様を一瞥すると口に瓜を含んだまま何も言わずに立ち
上がり、もう一度古新聞紙で作った飛行機を、お庭の向う側まで
飛ばした。
 ジィジィと油蝉の鳴く声が、蒸し暑い夏の庭に響いた。
 ぼっちゃんが、飛行機を追って駆け出したのを見届けて、
「まだ、その気がありませんよ」と板倉さんは言った。
「だめよ。そろそろよ」
「まだですよ」
「おもらいなさいよ」
「そんなことを言われるとは思わなかったな」
「だって社長さんに頼まれちまったんですもの」
「社長に頼まれたから、もらえと言うんですね」
「そればっかりじゃないわ。そろそろもらうべきだと思うから」
「奥さんに、そんなことを言われるとは思わなかったな」
「だってそろそろ、お考えになる年じゃありませんか」
「まだですよ」
「おもらいなさいよ」
「そんなことをなぜ、あなたが言うんですか」
「だって」

 黄色の真桑瓜と庭の緑色、油蝉の鳴き声の中で、奥様と板倉
さんの会話は、永遠に繰り返されるのじゃないかと思えた。

「どちらか一方、お気に召したほうの方と、お会いになって
  頂戴。写真、お帰りのときにお渡しするから」

 奥様は目を伏せがちにそうおっしゃり、板倉さんは不満そうに
古新聞をいじった。
 縁側のお二人はなんだか弱々しく、こころもとなく、見えた。


■抜書き:最終章 小さいおうち より

 大伯母が大切にしていた、新築の家の写真。
 ポーチの広さ、玄関のたたずまい、屋根瓦の形、窓、それは
雑誌の写真と双子のように似ていて、違うのはステンドグラス
の模様ぐらいだ。しいて言えば模様も違わないのだが、あきら
かに製作者が違うために、あまり似ていないのだった。
 ミステリーを読んでいるようだった。
 頭の中で、一個一個の点が線でつながり始めた。

 イタクラ・ショージは、あきらかに板倉正治だった。


■長い長いワンセンテンス〜失われた時間と甘美な時間

 この本を手に取ったキッカケはとんと分からない。
 ボクの住む区内の図書館から予約した本の順番が廻って来まし
たという内容のメールがきて「えっ、こんな本、予約してたんだ
っけ?」と訝ったほどなのだ。
 その頃は読書のペースがめっきり落ちていて、つまり"本を読
む"という意欲がどういう訳か、これまでの人生の中で一番の底
に沈んでいた時期だった。なので「これ(予約)、スルーしちゃお
うか」と考えてしまった。「でもな、どうして読もうと思ったの
か分からないけど、何かの縁があって予約したんだから、取りあ
えず受け取りに行ってみよう」と思い直した。
 その考えは結果として正解だった。今年読んだ本の中では一番
に良い本だったからだ。また、読み終えてから知ったことだが、
この作品は第143回直木賞受賞作とのこと。文学賞を取った作
品が(受賞作に限った話しではないけど)、万人の"こころ"に響く
訳ではないが、個人の意見としては"さもありなん"である。
 因みに、今年これまで読んで良かったと思えた2番目は永井荷
風の『墨東綺譚』(墨東の"墨"は、正しく変換できないので当て
字です)

 たまたまこの本を読み終えたのは、通勤途上の駅ホームにある
待合室であった。ここまでのストーリー展開から転調された最終
章で語られる後日談は爽やかな読後感とせつなさ、やるせなさを
含めたノスタルジーを誘った。そして、ボクは「一層のこと会社
を休んじゃおうか」と思ってしまったりした。それは、今、胸の
内にあるもの言葉というを形にしたためたかったからだ。
 が、しかし。そんなことで休んでしまうのは社会人としてどう
よ、と別の自分が諌めもする。アレコレと逡巡したのだが、結局
は出勤するという至極まっとうな結論に達した。
 だから、あの時に感じたことをここで表すことは残念だが出来
ない。それどころか、日常のルーチンワークをこなし始めると、
一時間も経たないうちに、ボクは自分の内にあったその読後感を
どこかへ綺麗さっぱりと追いやってしまったのだ。
 あの時持っていた欠片さえも、今、引っ張りだせやしないので
ある。
 それでも諦め悪く、大まかに表現してみれば、それは"心を洗
われた"ということになる。それをもっと違う形で表したかったと、
今でも思う。

 読書のペースが落ちてしまったことを、あの3月11日に起こ
ったことに求めたいとは思わない。
 自分自身や自分の近くにいる人が幸いにも被災していないとい
う立場にいる者が必要以上にショックを受け、これまでの日常の
ペースが狂ってしまったその遠因をあそこに結びつけるのは、正
しいこととは思えないからだ。
 が、事実として、日常ルーチンの中で、本を読む・文章を書く
という ごく個人的な行為があの日以来、滞ってしまったことも
確かだ。
 好きだったものが自身でハッキリとした自覚もなく、一時的に
も嫌になってしまうという事象はこれまでにもあった。
 なので、再びそういう気持ちになるまで待っていればいい、と
その理由を突き詰めることなく放っておいたら1年近い時間が経
ってしまった。これにはいささか驚いた。

 3.11の1週間前、ボクは福井県にある三国競艇場を3泊4日の
日程で初めて訪れていた。応援している選手が出場する女子王座
決定戦がそこで開催されていたからだった。
 彼女が優勝する瞬間に立ち会ってみたかったし、それが2度目
の戴冠となる女子レーサーNo.1を決めるレースならば最高だと思
い、長逗留を決意させたのだ。(前者の思いは、この1月の多摩川
オール女子戦で実現した)
 明らかにエンジンが出ず、予選道中では格下の選手に競り負け
てもいた海野さん。それでも着をまとめてベスト18に入り準優
勝戦に駒を進めてきたが、予選順位が15位であったことから枠
は5枠と遠く、優勝戦に進むには贔屓目にみても厳しい状況に思
えた。
(準優勝戦は3レース行なわれ、各レース2着までが優勝戦出場
権を得ることが出来る)
 準優勝戦の当日、彼女は女子王座決定戦の全出場選手の中で一
番熱心にレースとレースの合間に行なわれる試運転を繰り返して
いた。ボクは1マーク(コーナー)のターンが良く見える場所でそ
の懸命な姿を見ていた。昨日までとターンしてからのアシ色(勢
い)が違うように思えた。
 贔屓目?いや、試運転で繰り返されるターンを見続けているう
ちに、一緒に走ってターンしている選手より明らかに力強いこと
に確信を持てた。だから、海野さんの出る10Rで期待できると
いう確信を持って彼女からの舟券を買うことができた。
 そして、嬉しいことにその確信は現実となってくれた。結果と
しては2着だったが、彼女らしいハンドルワークで1マークを旋
回し2番手にあがり、2周バックで優勝戦進出をかけて競り合っ
た中谷朋子を冷静に牽制してその順位をキープした。ファン冥利
に尽きるレースぶりだった。

 そんなことや翌日の優勝戦でのこと。競艇場のお膝元にある芦
原温泉の夜、銀河食堂という名の居酒屋での大将やタカ君、三重
から競艇観戦に来たという若者との話し。書きたいことは、それ
こそ一杯あったのだが、なぜか筆を持つことさえしなかったので
ある。

 今、ボクはこの文章を3回目の訪問となる三国競艇場へ向かう
特急列車の中で書いている。
 記録的な豪雪の影響で、米原で乗り換えた"しらさぎ"の歩みは
遅い。除雪作業を待つ間、米原や長浜のホームに列車は佇んでい
る。雪の影響はレールウェイよりも空の便の方が大きいと思って
新幹線〜特急という陸路を選択したのが裏目にでたのか。ANAは
飛んでいるのかな?無事に運航されているようなら、今頃は三国
に着いている時間帯だ。(1R開始時間の11時に着くか着かな
いかぐらいの)
 しかし、急ぐ必要はない。こうなること(立ち往生)を見込んで
いたので、東京を発った6時に昼の食料も飲料も用意してきた。
それに競艇をすることも今回の旅行の目的の1つなのだが、一番
のそれは銀河食堂で飲むことなのだ。夜までに芦原温泉に着けれ
ば、ノープロブレムだ。
 白身をメインにした刺し盛り、この時期なら越前ガニ、焼き魚
にさばへしこ(超塩辛い)。銀河食堂の魚はどれも旨い。さすがは
鮮魚卸しが本業なことだけある。これらを文字どおり肴に、まず
ビール、芋焼酎水割り、地酒の黒龍をクイクイと。銀河食堂の大
将ととりとめのない話しをしながら。
 書いているだけで楽しい気分になる。楽しい場面を心待ちにす
る時が"一番の時間"なのではないだろうか。

 吉田修一はある雑誌の"アナタにとって一番の贅沢な時間は?"
という主題を与えられたエッセイの中で『それは失われた時間
だ』(もう2度と戻らない甘美な時間の意)と書いた。
 その通りだと思った。そして彼の答えに加えて『時が過ぎて
いくことを楽しく思う時間』を自分の解としたい。

 そうか。ボクは時が刻まれることを楽しく思うという行為を
忘れていたのかもしれない。
 吉田修一が言うところとは真逆の『失われた時間』の重さを
思うあまりに。
 
          (2012.2.3 臨時特急しらさぎ号 車内にて)
posted by onlykiwi at 12:57| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書ノート、ふたたび | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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